「今週末、飲みに行かない?」——そう誰かを誘ったこと、きっと何度もありますよね。仕事帰りでも、ひさしぶりの友人とでも、とりあえずお店を予約して、席について、注文して。それはそれで楽しい時間なんですけれど、ふと思うんです。あの「飲みに行こう」の一言が、もし「BBQしよう」だったら、集まる時間はどんなふうに変わるんだろう、と。
お店で向かい合うと、どうしても料理が主役になって、話題が途切れるとちょっと気まずかったりもします。でも火を囲むときは、そうじゃないんですよね。焼けるのを待つ時間があって、手を動かす時間があって、沈黙すら気にならない。同じ場所に集まっているのに、時間の流れ方がまるで違う。そんなことを本気で考えるようになったのは、与論島に足を運んでからでした。ここでは、人が集まる理由が、少しだけ違うんです。
お店ではなく、火のまわりに人が集まる
与論島は、車で一時間もあれば一周できてしまう小さな島です。東京のように、たくさんの市区町村があって、どこへでも電車でアクセスできる、という土地ではありません。だからこそ、というべきなのか、人と人の距離がとても近いように感じました。歩いていても、車の窓越しでも、目が合えば自然と会釈が交わされる。そういう距離感が、島にはあたりまえのように流れているんです。
都会だと、人が集まる場所はたいてい飲食店なんですよね。あの店に集合しよう、と場所が先に決まる。でも与論島で過ごしていて感じたのは、集まる理由の中心に「火」があるということでした。誰かがグリルに火を入れる、その煙と匂いに、いつのまにか人が寄ってくる。お店に呼ばれて集まるのではなくて、火のまわりが自然と場になっていくんです。予約も、時間割も、席の指定もいらない。煙が立ちのぼっていること、それ自体が「おいでよ」の合図になっている。そんな空気が流れていました。
もちろん、これは外から短い時間おじゃましただけの、ひとりの人間が受け取った印象にすぎません。島に長く暮らす方々からすれば、当たり前すぎて言葉にもならないことなのかもしれない。それでも、都会から来た身には、その光景がとても新鮮に映りました。当たり前のなかにこそ、いちばん大事なものが隠れているのかもしれない、とも思ったんです。誰かの家の庭先から煙が上がっているだけで、今日はあそこで何かが始まっているんだな、と伝わる。その伝わり方のやわらかさに、僕はしばらく見とれていました。
「とりあえずやる」BBQと、集まりたくてやるBBQ
日本で「バーベキュー」と聞くと、多くの方が思い浮かべるのは、夏のいちばん暑い日に河原や庭先で炭を起こして、薄切りの肉を網に乗せて、いつのまにか焦げてしまって、野菜はしおれて、それでも楽しいねと笑い合う——そんな光景かもしれません。個人的には、あれはあれで大好きなんですよ。ただ、正直に言うと、外は暑いし、お肉はそこまで美味しくならないし、なんとなく恒例行事だからやる、という「とりあえず感」がどこかにある気もするんですよね。
誘い文句も、どこか身構えるところがあります。「今度BBQやろう」と言うと、日程を合わせて、場所を押さえて、買い出しをして、と一大イベントになりがちで。気軽なはずの集まりが、いつのまにか準備の重たさに変わっていく。そんな経験、ありませんか。だから多くの人にとってBBQは、年に一度か二度の特別な行事になっていくのだと思います。
与論島で感じたのは、それとはちょっと違う温度でした。焼くこと、火を囲むこと自体を、みんながうれしそうにしている。肉を焼くという行為そのものを喜ぶ、そういう素地がこの島にはあるように思えたんです。だから「飲みに行こう」と同じくらいの気軽さで「BBQしよう」が成り立つ。準備が重荷ではなくて、集まるための口実のほうが先にある。火を囲むことが目的化していないんですよね。あくまで、人と過ごすための入り口として火がある。その順番の違いが、場の空気をこんなにも軽くするのかと、はっとさせられました。日本の中で、それがすでに日常として根づいている場所は、そう多くないんじゃないかなと個人的には感じています。
火が、言葉のいらない時間をつくる
僕らがBBQで届けたいのは、じつは「美味しい」の一歩先にあるものなんですよね。もちろん美味しいことは大前提です。でも本当に届けたいのは、場の空気がふっと変わる感覚だったり、会話がなくても居心地がいい、あの時間だったりします。
蓋を閉めたグリルがゆっくり食材に火を通しているあいだ、人はただ待つしかありません。その待ち時間こそが、僕はいちばん豊かだと思っていて。無理に話題を探さなくていい、黙って火を見ていてもいい。炎のゆらぎを眺めていると、不思議と肩の力が抜けていくんです。無言の時間すら心地よい、そんな安心の場が、火のまわりには生まれるんです。都会の予定で埋まった一日のなかでは、なかなか手に入らない種類の時間かもしれません。予定と予定のすきまを埋めるように過ごす日々のなかで、何もしないでいい時間というのは、じつはとても贅沢なものなんですよね。
与論島の暮らしは、それをずっと前から知っていたのかもしれません。顔なじみの関係性の中で、火を起点に人が集まって、焼けたものを分け合って、いつのまにか夜になっている。そこに特別なイベント性はなくて、ただの日常として溶けている。その姿に、僕らが目指したい場のかたちの原型を見たような気がしました。技術でも演出でもなく、暮らしそのものが手本になっている。そう感じたんです。効率よく盛り上げるための仕掛けではなく、ただ人が心地よくいられる時間の流れ方——それを、島の人たちは体で知っているように見えました。
だから「YORON」を名前に掲げています
僕らがやろうとしているのは、アメリカンBBQの優れた考え方——蓋付きグリルで間接的に火を通し、焦がさず、水分を保ってじっくり育てるやり方——を受け継ぎながら、日本の暮らしに合うかたちへ翻訳していくことです。お肉だけでなく、魚も野菜も。少しずつ、いろんな種類を、熱々で。長時間の儀式ではなく、作って食べて楽しんで、数時間で完結する。そういうスタイルを大事にしています。
ただ、道具や焼き方はあくまで手段なんですよね。本当に広げたいのは、「飲みに行こう」を「BBQしよう」に変える文化のほうです。そして、それがすでに息づいている場所として、与論島への敬意をこめて「YORON」という名を掲げています。島の食材を使うことが定義なのではなくて、この島が持っている「集まりたくて火を囲む」という文化そのものへのリスペクトが、名前の理由なんです。地名を借りたのではなくて、暮らしの姿勢を旗印にした、と言ったほうが近いかもしれません。だから僕らは、この名前に恥じないように、火のまわりに生まれる時間そのものを大切にしていきたいと思っています。
今日からできる、小さな一歩
大げさな準備はいりません。次に誰かを誘うとき、「飲みに行こう」の代わりに「BBQしようよ」と言ってみる。それだけで、集まる時間の設計が少し変わります。お店で向かい合って話す時間も素敵ですが、同じ火を囲んで、焼けるのを一緒に待って、仕込みのラブ(スパイス)を一緒にふりかけてみる。手を動かす時間が加わるだけで、不思議と距離が縮まるんですよね。役割が生まれて、自然と会話も生まれる。焼く人、待つ人、切り分ける人——そのゆるやかな分担そのものが、いつのまにか会話のきっかけになっていく。そのあたりはACADEMYでも少しずつお伝えしています。
YORON BBQ COMMUNITYでも、オープンなBBQの会をひらいています。上手に焼けるかどうかは、まったく気にしなくて大丈夫です。ただ火のまわりに座って、隣の人と、あるいは何も話さずに、その時間を過ごしてもらえたらうれしいんですよね。ご興味があれば、BBQ会のご案内をのぞいてみてください。開催の日程や参加のかたちは、そちらでお知らせしています。あの島で感じた温度を、少しでもお裾分けできたらと思っています。火のまわりで、またお会いできたら。