グリルの前で「スパイス、そこにあるからまぶしといて」と言ったときと、「ラブ、ちょっとまとわせてみて」と言ったときとで、渡された人の手つきが変わることってあるんですよね。前者はなんとなく事務的に、粉をパラパラっと振って終わり。後者はなぜか、手のひらでぎゅっと肉に押し込むみたいに、少し丁寧になる。同じ粉なのに、です。炭の熱でうっすら汗をかきながら、その手つきの違いを横目で見ていると、料理って味の前にまず気持ちの話なんだなあと、しみじみ思ったりします。

YORON BBQでは、肉や野菜にまぶすスパイスのことを「ラブ(rub)」と呼んでいます。英語で「こすりつける」という意味の言葉で、アメリカンBBQの世界ではごく普通の呼び方なんですが、僕らがこの言葉をわざわざ大事にしているのには、味の話だけじゃない理由があるんです。今日はその、名前をつけ替えることで料理が変わっていく感じについて、隣で話すみたいに書いてみますね。

「調味料」と呼ぶと、味は「正解」を探しにいく

「調味料」という言葉には、どこか正解があるような響きがあると個人的には思っています。塩は何グラム、こしょうはこのくらい、レシピどおりに入れれば失敗しない。便利なんですけど、その代わりに「自分で決めていい」という感覚がすっと抜けていくんですよね。裏面の分量表示をちらっと確認して、そのとおりに振る。あの瞬間、手は動いているのに、心はどこか「言われたことをやっている」モードに入っている気がするんです。

日本って、万能スパイスやだしの素がすごく大衆化した国なんです。ひと振りで誰が作っても同じ味になる。とても優秀な発明だと思う一方で、世界でいちばん味覚に敏感なはずの僕らが、いつの間にか「自分で味を作る」ことをあまりしなくなってしまった、という側面もあると感じています。焼き場で「味、どうする?」と聞かれても、「うーん、普通でいいよ」と答えてしまう。あの「普通でいい」が、実はいちばんもったいない瞬間なんじゃないかなと思うんです。せっかく火を囲んでいるのに、自分の好みを口に出す前に、無難なところに着地してしまう。

そこで「ラブ」です。この言葉には、まだ正解が決まっていない感じがある。何をどのくらい混ぜてもいいし、誰かの家のラブと自分のラブは違っていていい。名前が変わっただけで、「正しく入れる作業」だったものが「自分で作っていい創作」に変わる。言葉って、そういう地味だけど大きい仕事をしてくれるんですよね。しかも面白いのは、この切り替えにコストがまったくかからないことなんです。新しい道具も、特別な食材もいらない。ただ呼び名をひとつ変えるだけで、その場の温度がちょっと変わる。

名前をつけ替えると、手が動きだす

先日、茨城の土浦でグリルを囲んだときのことなんですが、ザラメを持ち込んでみたんです。しょっぱいラブがどうしてもメインになるので、甘い方向の選択肢もあったら楽しいなと思って。そうしたら、鶏肉に「ラブ版」と「ザラメ版」の二種類ができて、これが面白かった。うちの娘はラブ版は食べなかったのに、ザラメ版はぱくぱく食べたんです。子どもには甘い方が人気だったんですね。予想が半分外れて、半分当たる。この「やってみないと分からない」感じが、そのまま食卓の楽しさになっていく。

これ、「調味料を二種類用意しました」だと、たぶんこうはならなかった気がしていて。「ラブ版とザラメ版、どっちがいい?」と聞くと、みんな急に自分の好みを言い出すんですよ。「俺は絶対ラブ」「私は甘いのも試したい」って。選択肢に名前がつくと、人は選び手になる。選び手になると、その場に自分ごととして参加しはじめる。名前をつけ替えるって、味を変える前に、その人の関わり方を変えているんだと思います。黙って食べていた人が、ふいに「次はこうしてみない?」と身を乗り出してくる。あの瞬間が、僕はけっこう好きなんです。

同じ日に、あるメンバーがハンバーグ用に買ってきたパン粉を、アルミホイルの上でカリッと焼いて、肉やチーズにまぶして遊んでいました。誰かが「これ、パン粉ラブじゃん」と言った瞬間に、余り物だったパン粉が急に主役の一人になったんですよね。バーベキューは「焼く」の印象が強いですけど、こういう脇道の遊びが生まれると、場がぐっとやわらかくなる。それを引き出すのが、実は言葉だったりするんです。余り物に名前をつけると、それはもう余り物じゃなくなる。もったいないから使う、ではなくて、面白そうだから使う、に変わっていく。

「ラブ」は、上手い下手を消してくれる

焼き場でありがちなのが、「詳しい人が正解を握っていて、あとの人はそれを見ている」という構図なんです。これ、悪気はないんですけど、参加している人を静かに受け身にしてしまう。せっかく火を囲んでいるのに、一人が先生で、あとは生徒、みたいになってしまうともったいないんですよね。トングを持った人だけが忙しくて、あとはビール片手に眺めている。よくある光景ですけど、あれ、実はみんなの手を止めているんです。

その点、「ラブ、好きに混ぜていいよ」という渡し方には、上手い下手がないんです。正解がないんだから、失敗もない。ちょっと辛くしすぎても「攻めたね」で済むし、ハーブを入れすぎても「これはこれでアリかも」になる。この「誰がやっても間違いにならない」という安心感が、その場にいる人みんなの手を動かしはじめるんです。失敗にならないと分かっているから、人は思い切って手を伸ばせる。そしてたまに、誰も思いつかなかった組み合わせが生まれて、それがその日のいちばんの話題になったりする。

僕らがBBQで本当に届けたいのは、実は「美味しい」の一歩先にあるものなんですよね。味そのものというより、場の空気が変わる感じ。会話の質が変わったり、無理に喋らなくても居心地がいい時間になったり。その思想の話はまた別の機会に譲りますけど、「ラブを一緒に作る」という小さな行為は、その空気の入り口として本当によく効くんです。仕込みの時間に肩を並べて粉を混ぜていると、初対面の人とでも、なぜか少し距離が縮まっている。手を一緒に動かすって、言葉を交わすよりも先に、その人との間の壁を溶かしてくれるところがあるんですよね。

言葉が先に、文化を連れてくる

与論島では「飲みに行こう」がそのまま「バーベキューしよう」になっている、という話をよくするんです。誘い文句としてBBQが日常に溶けている。これって、料理の技術の話というより、言葉の話なんですよね。「バーベキューしよう」という一言が、人を家の外に連れ出して、火の前に集めてしまう。言葉が先にあって、文化があとからついてくる。立派な設備があるから集まるんじゃなくて、集まるための合言葉があるから、自然と場ができていく。

「ラブ」もたぶん同じで、名前をひとつ持っているだけで、その周りに小さな文化ができていくんだと思います。「今度のラブ、何入れる?」「この前のあれ美味しかったからまた作って」——そういう会話が生まれること自体が、もう場が育っている証拠なんですよね。味を届ける前に、まず言葉を渡す。それだけで、次に会う理由がひとつ増える。合言葉を共有した人たちの間には、次のグリルまでの見えない糸みたいなものが残る。その糸を少しずつ増やしていくのが、僕らのやっていることなのかもしれません。

今日からできる、小さな一歩

もしよかったら、次にグリルを囲むとき、あるいはおうちで焼き物をするときでいいので、スパイスを一度「ラブ」と呼んでみてください。それだけで、隣にいる人への渡し方がちょっと変わるはずです。「これ振っといて」じゃなくて、「このラブ、まとわせてみて。好きに足してもいいよ」。この一言が、相手を見物人から作り手に変えてくれます。呼び方ひとつで、その人の一日の関わり方が変わる。試すのはタダですから、ぜひ一度やってみてほしいんです。

もうひとつ、おすすめしたいのは、二種類のラブを用意しておくことなんです。定番のスパイス系と、ちょっと甘い系。片方だけだと「正解」に近づいてしまうけれど、二つあると人は必ず「どっちにしよう」と考えはじめる。その迷いこそが、創作の入り口だったりします。素材選びに迷ったら、クックブックものぞいてみてくださいね。難しい食材は要らなくて、いつものスーパーで揃うもので十分なんです。台所にある、いつもの瓶をいくつか混ぜてみるだけでも、それはもう立派なあなたのラブになります。

月に一度、誰でも手ぶらで来られるBBQをやっています。上手い人が焼いてくれるのを待つ会ではなくて、みんなでラブを混ぜて、あーだこーだ言いながら火を囲む会です。もし「自分でも味を作ってみたいな」と思ったら、ふらっと来てもらえたら嬉しいです。名前をひとつ覚えて帰るだけでも、たぶん次の食卓が少し楽しくなりますから。火の前でこぼれる、あの何気ない会話ごと、持って帰ってもらえたらいいなと思っています。