グリルをどこに置くか。それを決めるとき、みなさんは何を見ていますか。平らかどうか、荷物を運びやすいか、たぶんそのあたりですよね。僕らも最初はそうでした。テーブルの近くで、手が届きやすくて、なるべく段差のないところ。理屈で考えれば、それがいちばん合理的に思えます。でも与論島で何度か火を入れているうちに、いちばん先に見るようになったのは「風がどっちから来ているか」だったんです。
島の風って、内地で感じるそれとは少し性格が違うんですよね。海がすぐそこにあるぶん、風はまっすぐで、湿っていて、そして一日のなかで向きを変えていく。朝のうちは海から陸へ、夕方になると少し向きが緩んで、時間とともに表情が変わっていきます。その風の中に火を置くというのは、思っていたよりずっと繊細な作業でした。今日はその、煙の行方を読むという小さな準備の話をさせてください。技術というより、場づくりの話として聞いてもらえるといいなと思っています。
まず、煙がどこへ流れるかを見る
蓋付きのグリルで焼くとき、僕らは炭を片側に寄せて、反対側に食材を置く間接熱のロジックを使っています。この焼き方だと、実はそんなに大量の煙は出ません。もくもくと立ちのぼる、あの絵に描いたようなバーベキューの煙とは少し違うんです。それでも、火を入れた瞬間に立ちのぼる最初のひとすじ、あれがどっちへ流れるかは、置き場所を決める前に必ず見るようにしているんです。
なぜかというと、煙の行方はそのまま「人がどこに座るか」を決めてしまうからなんですよね。煙が流れる先に椅子を置いてしまうと、そこに座った人はずっと目を細めることになる。せっかく火を囲みに来たのに、火から逃げる位置に追いやられてしまう。話しかけようとしても、まず煙をよける仕草が先に出てしまって、なんとなく体が半分そっぽを向いてしまう。これって、けっこうもったいないことだと個人的には思っていて。
与論の海風はありがたいことに、たいてい海のほうから陸へ、わりと一定の向きで吹いてくれます。だから、風上に人の輪を、風下に煙の抜け道を。この順番でグリルの向きを決めると、煙は誰の顔にもかからず、海のほうへすうっと抜けていく。焼き手も、隣の人も、火のいちばん心地よい距離に自然と収まっていくんです。誰かに「そっちは煙いですよ」と言わなくても、座った時点でもう心地いい。その静かな設計を、火をつける前のひとすじで決めてしまうわけです。
湿った風は、火にとって悪者じゃない
海の近くで焼くと決めたとき、湿気を心配される方は多いです。炭が湿るんじゃないか、火がつきにくいんじゃないか、と。たしかに着火のときは、乾いた場所より少しだけ手間がかかることもあります。だからこそ僕らは、炭おこしの道具を先に立ち上げて、火種をしっかり作ってからグリルに移すようにしています。ここは段取りとして固めているところなので、湿った日でも慌てることはありません。順番さえ守れば、風はむしろ味方になってくれます。
むしろ、と言いたいくらいなんですけど、湿った風はロー&スローの焼き方とすごく相性がいいんですよね。蓋を閉じて間接熱でじっくり火を入れるとき、いちばんの敵は食材が乾いてしまうこと。海からの湿った空気は、その乾きをやわらげてくれる方向に働いてくれます。からっと乾いた高原で焼くときより、与論の海辺で焼いた鶏のほうが、しっとり仕上がるように感じる日があるんです。
もちろん、これは日々の火のなかで感じている手ごたえの話です。数字で厳密に測ったわけではありません。それでも、湿気を「困りごと」として遠ざけるのではなく、焼き方のほうを湿気に寄せていくと、島の空気そのものが調理の一部になってくれる。風土って、抗うものではなくて、味方につけるものなんだなと。島で火を入れるたびに、そんなことを思います。
日差しは、火より先に人を疲れさせる
意外と見落とされがちなのが、日差しの扱いです。与論の日差しは、季節によってはかなり強い。火のことばかり気にしていると、頭上から降ってくる日差しをつい忘れてしまうんですけど、これが場の空気をいちばん静かに削っていくんですよね。煙のように目に見えるわけでもないので、気づいたときには、なんとなくみんなの口数が減っている、ということが起きます。
火のそばは、ただでさえ熱がこもります。そこに直射日光まで重なると、人は無意識に「早く終わらないかな」という気持ちになってしまう。会話が続かなくなって、みんなスマホを見はじめる。そうなると、僕らがいちばん届けたかった、場の空気がふっと変わるあの瞬間から遠ざかってしまうんです。せっかく火はいい仕事をしているのに、人のほうが先に疲れてしまう。これはとてももったいない。
だから置き場所を選ぶとき、木陰があるか、屋根の影が落ちる時間帯はいつか、というのも一緒に見ます。完璧な日陰じゃなくていいんです。午後のいちばん強い時間だけ影になる場所、みたいな緩い基準で十分。人が「ここ、居心地いいな」と感じて長く座っていられること。それがあれば、火はゆっくり仕事をしてくれるし、会話もゆっくりほどけていきます。日差しをよけるというのは、実は時間をよける準備でもあるんですよね。長くいられる場所を選ぶことが、そのまま長く一緒にいられる時間を選ぶことになる。
置き場所を決めるのは、地面じゃなくて人の輪
ここまで風と湿度と日差しの話をしてきましたけど、突きつめると僕らがやっているのは「人の輪をどこに作るか」を決めることなんだと思います。グリルはその中心に置く火であって、主役じゃない。火はあくまで、人が自然と集まってくるための理由なんですよね。ACADEMYで火の配置や温度の話を体系立てて学べるようにしているのも、技術を覚えてほしいというより、その先で場を自由につくれるようになってほしいからなんです。置き場所を読む目が育つと、どんな場所に行っても、そこに心地よい輪をひとつ描けるようになります。
与論島には、「飲みに行こう」がそのまま「BBQしよう」になる、ちょっと特別な空気があります。誰かの家の庭でも、海辺の一角でも、火を囲むことが特別なイベントじゃなく、日常の続きとしてそこにある。かしこまって準備するものではなくて、その日の流れのなかにふっと火が生まれる。その文化の中に立たせてもらうと、置き場所を決めるという行為が、そのまま「今日ここに、心地よい輪をひとつ作りますよ」という宣言なんだと分かってきます。
風上に人を、風下に煙を。頭上には影を。それだけ整えたら、あとは火にまかせて、僕らはただ隣に座っていればいい。無理に言葉を紡がなくてもいい時間が、そこから始まります。会話が途切れても気まずくならない、あの沈黙のやわらかさは、たぶん置き場所の段階でもう半分できあがっているんだと思います。
今日からできる、ひとつの小さな一歩
もし週末にどこかで火を入れる機会があったら、グリルを置く前に、火種のひとすじだけ先に立ちのぼらせて、その煙がどっちへ流れるか見てみてください。それだけで、その日の座り方が変わります。煙の行く先に道をあけて、その反対側に大切な人の椅子を置く。たったそれだけの準備なんですけど、場の心地よさはずいぶん変わるんですよね。特別な道具も、特別な知識もいりません。ただ、火をつける前にひと呼吸おくだけです。
これは島じゃなくても、近所の公園でも庭先でも同じです。風を読むというのは、その場所と、そこに来てくれる人への、いちばん最初の気づかいなんだと思います。どこに座ってもらうかを先に想像してから火を置く。順番をひとつ入れ替えるだけで、その場は「焼く場所」から「過ごす場所」に変わっていきます。
YORON BBQでは月に一度、手ぶらで参加できるオープンな会をひらいています。誰かが風を読んでグリルを置いて、火がゆっくり仕事をしているあいだ、僕らはただ隣に座って過ごす。そんな時間を一度のぞいてみたい方は、月1BBQの申込ページからそっと覗いてみてください。火のいちばん心地よい場所に、椅子をひとつ空けて待っています。