ひさしぶりに仲間が集まる日って、うれしい反面、ちょっとだけ焦りませんか。せっかく顔を合わせたのに、気づいたら同じ二、三人としか話せていなかった、みたいなことが、わりと起きるんですよね。個人的には、BBQを何度もホストするようになってから、この「時間が足りない問題」をずっと考えています。

たとえば十数人が集まって、時間は四時間。しかも室内でグリルを囲むとなると、全員とちゃんと話すのは、正直けっこう難しいんです。1対1で話せたとしても、短い立ち話で終わってしまったりする。そういう制約のなかで、それでも場がすこしでも良くなる仕掛けはないかな、と思っていたときにたどり着いたのが、今日お話しする「一品を二人に預ける」という小さな工夫でした。

焼き手が抱え込むと、会話はそこで止まる

まず前提として、焼き手ってけっこう忙しいんですよね。炭に火を入れて、温度を見て、肉の順番を考えて、網の上を回していく。きちんと焼こうとすると、人数が多いほど手がかかります。個人的な実感でいうと、グリルの前にいる二時間ちょっとは、わりと付きっきりになります。

その時間の焼き手って、傍から見ると場の中心にいるようで、じつは会話からいちばん遠い場所に立っているんです。炭のはぜる音と、立ちのぼる煙と、網の上で色が変わっていく肉。それを見つめているあいだ、背中のほうでは笑い声が起きていて、でもこちらは手が離せない。火と向き合う心地よさと、輪から抜けている寂しさが、同じ時間のなかに同居している。あの感じ、ホストをしたことのある方なら、きっとわかっていただけるんじゃないかなと思います。

これ、誤解されたくないんですけど、「じゃあひとりで焼かなきゃいいじゃん」という話ではないんです。焼く側には、みんなに良い場を届けたいという気持ちがあるし、なにより火と向き合っているあの時間そのものが心地いい。ただ、ちゃんと焼こうとするとどうしても時間がかかって、その間、焼き手だけが会話の輪から抜けてしまう。そこがもったいないな、とずっと感じていました。

一度こんなことがありました。炊飯器でお米を炊く係をお願いしたメンバーが、すごく集中して取り組んでくれたんです。それ自体は本当にありがたかったのですが、その人は作業に没頭していたぶん、グリルのそばで交わされていた炭の話やサーモンの火入れの話には入りづらかった。やってもらう作業と、会話が生まれる場所が、離れてしまっていたんですね。あとから「ああ、そういうことか」と腑に落ちました。作業を振るだけでは足りなくて、作業そのものが会話になる形にしないといけない、と。つまり、人に役割を渡すときに大事なのは「手を動かしてもらうこと」そのものではなくて、「手を動かす場所に、会話も一緒に置いておくこと」なんだな、と思うようになりました。

「一品を二人に」という、ゆるい担当制

そこで最近ためしているのが、BBQで出てくる料理を、一品ずつ二人組で担当してもらう、というやり方です。グリル野菜のペア、サーモンのペア、お米のペア、といった具合に、ゆるく割り振っていきます。

いいな、と思うのは、二人でひとつの料理に向き合うと、自然に手と言葉が動き出すところです。「これ、もう焼けたのかな」「ラブ、もうちょっとまぶしてみる?」みたいな会話が、肩肘張らずに始まる。料理によっては三十分、四十分かかるものもあって、その間ペアが固定されることにはなるんですけど、四時間あるので、個人的にはそれくらいなら、むしろちょうどいい距離感だと思っています。短い立ち話で終わらない、腰を据えた時間になるんですよね。

初対面に近い人同士でも、「一緒にひとつの料理を仕上げる」という共通の目的があると、沈黙が気まずくならないんです。間がもたなくて困る、ということが起きにくい。手を動かしながらだと、言葉を無理に探さなくてよくて、その余白がかえって心地よかったりします。これはSLOW FIREが大事にしている、無言の時間すら心地よい場という感覚とも、どこかでつながっている気がしています。向かい合って「さあ話しましょう」となると、人はかえって身構えてしまう。でも、同じ鍋や網のほうを二人で見ていると、視線がまっすぐぶつからないぶん、言葉がやわらかく出てくる。横並びって、会話にとってけっこう大事な角度なのかもしれません。

役割が、きっかけに変わる瞬間

この担当制のいいところは、焼き手の負担がやわらぐこと以上に、会話のきっかけが場のあちこちに同時に生まれることだと思っています。焼き手ひとりが全部を抱えていると、会話も焼き手のまわりに一極集中してしまう。でも、あちこちのペアがそれぞれの料理に向き合っていると、小さな会話の渦がいくつもできるんです。

仕込みの時間も、じつはすごく効きます。焼く前に、ラブ——私たちがスパイスのことをそう呼んでいるのですが——を一緒にまぶす数分間。あの時間が、いちばん静かに距離を縮めてくれる気がします。手を動かしながらだと、ふだんは言いにくいことも、ぽろっと口から出たりするんですよね。「あの人のあの話、よかったよね」みたいな一言が自然に出てきて、場の温度がふっと変わる瞬間があります。

おもしろいもので、こうして生まれた小さな渦は、放っておいても勝手につながっていきます。野菜のペアとサーモンのペアが、いつのまにか「そっちどう?」と味見をしあっていたり、お米の様子を見にきた人がそのまま別の輪に混ざっていたり。焼き手が号令をかけなくても、料理そのものが人を動かしてくれる。場って、中心から配るものじゃなくて、あちこちで同時に起こしていくものなんだな、と最近はよく思います。

欲をいえば、お米を新聞紙でくるんで炊くような、ちょっと面白い役割もあると盛り上がります。丸鶏の下ごしらえを手伝ってもらうのもいいし、野菜を切るチームをつくるのもいい。「お客さん」として待っているのではなく、つくる側として場に参加してもらうこと自体が、じつはいちばんのごちそうなんじゃないか、と最近は思っています。

割り振るときに、ひとつだけ気をつけていること

ただ、ひとつだけ気をつけていることがあります。それは、ペアを機械的に決めすぎないことです。相性もあるし、その日の体調や気分もある。だから「この料理、やってみたい人いますか」とゆるく声をかけて、手が挙がったところから埋めていく、くらいの温度がちょうどいいんです。きっちり役割表を配ると、とたんに仕事っぽくなってしまう。あくまで、気づいたら一緒に手を動かしていた、という自然さを残したいんですよね。

手が挙がらない料理が出てきても、慌てなくて大丈夫です。そういうときは「じゃあ、ちょっと一緒にやってみません?」と、こちらから軽く隣に立つ。誘われて断る人って、意外と少ないんです。大事なのは、参加を義務にしないこと。やりたい人からゆるく始まって、見ていた人がつられて混ざる。その流れを壊さないことだけ、心に留めています。

それから、担当してもらう料理の火入れだけは、こちらがそっと見ておきます。とくに鶏肉やお肉は、中心までしっかり火を通すことを、私たちの基本の姿勢として徹底しています。杉板を使うときは三十分ほど水に浸してから、というのも、毎回変わらず守っているところです。ペアに任せきりにするのではなく、安心して楽しんでもらうための土台だけは、ホスト側がきちんと持っておく。そこは手放さないようにしています。自由にやってもらうことと、守るべきところを守ることは、ちゃんと両立するんですよね。技術的な勘どころはACADEMYのほうでも整理しているので、気になる方はのぞいてみてください。

全員が、すこしずつ幸せになる場へ

結局のところ、私がやりたいのは、集まったその日に、全員がすこしだけ軽くなって帰ってくれること、なのかもしれません。人それぞれ、置かれている状況は違います。元気な人もいれば、ちょっと疲れている人もいる。そういう仲間が同じ火を囲んで、一緒に一品をつくって、気づいたら笑っていた——そんな時間を、仕掛けの力でそっと後押しできたらいいな、と思っています。

焼き手がひとりで背負わず、一品を二人に預ける。たったそれだけのことですが、場の空気はずいぶん変わります。もしよかったら、次に仲間と火を囲むとき、ひとつだけ料理を誰かと二人で担当してみてください。やり方はシンプルで、「この一品、一緒にやらない?」と隣の人に声をかける。それだけで十分です。きっと、料理の味だけじゃないものが、ひとつ増えると思います。月に一度のBBQの会は、手ぶらでふらっと来ていただける場です。火のそばで、一緒に手を動かしながら、のんびりお話しできたらうれしいです。