BBQって、気づくと「残さず食べきらなきゃ」という空気になりませんか。せっかく焼いたのだから、せっかく持ち寄ったのだから、最後の一枚まできれいに片づけてこそ気持ちがいい。その感覚は、わたしもよくわかります。目の前の食べ物を粗末にしたくないという気持ちは、きっとだれの中にもあるもので、とても大切なものだと思います。

ただ、与論でBBQを重ねてきて、少しずつ考えが変わってきました。「食べきる」をゴールにしてしまうと、場の後半がどうしても苦しくなっていくんですよね。お腹はもういっぱいなのに、残った分をどうにかしなきゃという義務感が、せっかくのやわらかい時間に小さな影を落としていく。せかされるように口へ運んで、気づけば会話よりも皿の上のことばかり気にしている。そんな後半を、わたしは何度か見てきました。だから最近は、途中からそっとお土産に回す。食べきらない余白を、はじめから設計に入れておく。そんなやり方を大事にしています。

「食べきる」をゴールにすると、場の後半が苦しくなる

最初の一時間くらいは、だれもが元気です。焼けたそばから手が伸びて、会話もはずんで、煙の向こうで笑い声が立ちのぼっていく。炭のはぜる音と、脂の落ちるにおいと、「焼けた?」「まだかな」というやりとり。あの立ち上がりの時間は、BBQのいちばん華やかなところだと思います。みんなの顔が火に照らされて、いちばん前のめりになっている時間です。

けれど、人の胃袋には限りがあります。だいたい折り返しを過ぎたあたりから、みんなの手がゆっくりになってくる。お腹は満たされて、ほんとうなら、ここからが「おしゃべりの時間」なんですよね。炭の火がやわらいで、海の音が急に近く聞こえてきて、だれかがふっと空を見上げる。肩の力が抜けて、とりとめのない話がはじまる。わたしはこの後半の、のんびりした空気がいちばん好きです。何かを成し遂げる時間ではなくて、ただ一緒にいる時間。BBQがただの食事ではなくなるのは、たぶんこのあたりからなんです。

ところが「残さず食べきる」を正解にしてしまうと、この大事な後半が台無しになりかねません。「まだこんなにある」「もうひと口いこうか」と、満腹の体に無理をさせる流れができてしまう。やさしかったはずの場が、いつのまにか消化試合みたいになっていく。笑っていたはずの人が、少し困った顔で箸を進める。そういう瞬間を見るたびに、もったいないのは食べ物ではなくて、その時間のほうかもしれない、と思うようになりました。満腹は、しあわせの合図のはずなのに、食べきる義務がそれを義務感に変えてしまうんですよね。

お土産に回すと、BBQが帰り道まで続いていく

そこで、折り返しのサインが見えたら、残りをお土産に回し始めます。みんなの手がゆっくりになってきた、会話が増えてきた、そんな空気の変わり目が合図です。まだ手をつけていないもの、ちょうど焼きたてのものを、無理のない量で包んでいく。「お腹いっぱいでしょう、これ持って帰ってね」と手渡すだけなのですが、この一手間がずいぶん場をやさしくしてくれるんです。

渡された人は、たいてい少し笑ってくれます。「今夜のごはんにするね」「明日の朝に食べるよ」と、まだ始まってもいない時間の話をしてくれる。その瞬間、BBQはこの場だけのものではなくなります。帰り道の車のなかにも、家の食卓にも、少しだけ続いていく。食べきってしまったら、そこで終わっていたはずの時間が、お土産という形で未来にこぼれていくんですよね。翌朝、「おいしかったよ」と連絡をもらうこともあって、そうなるともう、BBQは一日では終わっていない。場の余韻が、相手の暮らしのなかでもう一度ひらく感じがして、わたしはそれがとても好きです。

与論BBQで扱う丸鶏のように、ほどよく量のあるメニューほど、この「持ち帰る余白」が活きてきます。一度に全部を平らげるのではなく、半分はその場で、半分は持ち帰って。そんなふうに楽しみを分けておくと、満腹の苦しさに追われることなく、最後までやわらかい気持ちでいられます。たっぷりあるということは、無理して詰め込む理由ではなくて、分け合える余裕があるということ。量の多さを、プレッシャーではなくゆとりに変える。それが、持ち帰るという発想のいいところだと思っています。

渡し方の小さな心得

お土産に回すときに、わたしが気をつけていることがいくつかあります。むずかしいことではなくて、どれもちょっとした心づかいです。

  • 手をつけていないもの、焼きたてのものから包むこと。みんなで取り分けた後の皿からではなく、きれいな状態のものをお渡しするようにしています。受け取る人が気持ちよく持って帰れること、それがいちばん大事です。
  • 量は、その人がちょうど笑顔になるくらいに。多すぎると負担になってしまうので、「ちょっとうれしい」くらいの量感を心がけます。渡すほうの「全部押しつけたい」気持ちは、少しだけ引っ込めておくくらいでちょうどいいんです。
  • 渡すタイミングは、満腹になりきる少し手前。苦しくなってからでは遅いので、場の空気を見ながら早めに動きます。手がゆっくりになってきたな、という変わり目を見逃さないようにしています。

そして何より、食品の衛生管理は徹底しています。持ち帰っていただくということは、その後の時間まで責任をお預かりするということ。だからこそ、安心して口にしてもらえる状態でお渡しすることを、いちばん大切にしています。やさしさの余白と、きっちり守る線引きは、別のものです。ここだけは、余白ではなく、きっちり守るところだと考えています。気持ちのこもったお土産でも、安心して食べられなければ意味がありませんから。

「残す」ではなく「分ける」という発想

「食べきらなくていい」と言うと、食べ物を残すことのように聞こえるかもしれません。でも、わたしの感覚はすこし違っていて、これは「残す」ではなく「分ける」なんです。残すというと、手に余って持て余したような、どこか後ろめたい響きがあります。でも分けるには、そんな影はありません。

その場で食べる分と、持ち帰ってもらう分。いまの時間と、これからの時間。おなじ食卓を囲んだ人たちへ、楽しみを分けていく。そう考えると、食べきれないことは失敗ではなくなります。むしろ、分けられるだけのゆとりがあったということ。場に余白があったということなんですよね。目の前で消えてしまう楽しみを、少しだけ先の時間にも配っておく。そういう贈りものだと思えば、気持ちもずいぶん軽くなります。

全部をその場で消費しようとすると、人は少しずつ急いでしまう。分けることを前提にすると、人はゆっくりになれる。

ホストとして場をつくるとき、わたしはこの「ゆっくりになれるかどうか」をいつも気にしています。せかされない、無理をさせない、満たされた体のまま笑っていられる。そのための仕掛けのひとつが、食べきらない余白であり、お土産なのだと思っています。場の設計というと大げさに聞こえるかもしれませんが、やっていることは「急がなくていいよ」という空気を、そっと用意しておくことだけなんです。

今日のBBQで、ひとつだけ試してみてほしいこと

もしあなたが今度ホストをやるなら、ひとつだけ試してみてほしいことがあります。はじめから全部を出しきらず、最後に少しだけ「持ち帰ってもらう分」を取り分けておくこと。それだけです。準備の段階で「これは帰りに渡す分」と心づもりしておくと、当日あわてずにすみます。

折り返しのあたりで手がゆっくりになってきたら、「お腹いっぱいでしょう、これ持って帰ってね」と声をかけてみてください。きっと場の空気が、ふっとやわらかくなるはずです。満腹の苦しさに追われることなく、炭の火がやわらいでいく後半の時間を、みんなでのんびり過ごせるようになります。受け取った人の、少し照れたような笑顔も、たぶんその日のいい思い出になります。

食べきらなくて、いいんです。残りをそっと包んで渡す。その小さな一手間が、BBQを帰り道まで、そして次の食卓まで続けてくれる。場をやさしくする余白は、きっとそういうところに宿っているのだと思います。今日の集まりが終わったあとも、だれかの暮らしのなかで小さく続いていく。そんなBBQを、わたしはこれからも大事にしていきたいです。